知り合いのおじさんとK先生

神楽岡マイ
同窓会が行われた最寄りのJR新小岩駅

(以下は知り合いのおじさんの独り言をまとめたものです)
 一昨日の夜、高校時代のグループLINE通知があった。内容は、担任のK先生が4か月前の5月に亡くなっていたという知らせだった。
 私は都立高校を卒業後、すぐに北海道江別市に引っ越してしまって、高校時代の同級生とのつながりはほとんどない。それなのに3年前の夏、同窓会のお誘いがあり、久しぶりに会う顔は皆懐かしがってくれた。そのなかにK先生もいらっしゃった。
 K先生は国語、確か古文の先生だった。当時、読書を始めたころだったこともあり、同窓会の帰り道の総武線の車中で「何かお勧めの本はありますか?」と聞いたところ、「『悲の器』(高橋和巳)は昔、何度も読んだ」という。それでは、私が読んで感想文をお送りしますと約束した。
 この『悲の器』はどういうわけか、読み終えるのに苦労したという印象しかない。感想をK先生に送ったはずなのだけど、なぜか見当たらない。個人の読書記録には「誰からも愛されないとか、愛されていることに気がつかないのは実に気の毒だなと思ったけど、この本はそんなこと言いたいのではないだろうな」と残していた。
 その後、K先生より「君のおすすめの本の感想文を書いてみなさい。私も同じ本を読んで感想文を書いてみたい」という提案があった。これは面白い提案だと思い、私は満を持して三浦綾子『道ありき』を選択した。この『道ありき』は、いまでは三浦綾子を語ったり考えるうえで絶対に外せない作品だと思っている。「ここまで波乱万丈な人生、これが脚色されているとか話を盛っているとは思えないけど、先生はどう感じるのだろう?」と思った。そこでまた『道ありき』を読み直し、すぐに読んでもらえるようにと購入した文庫版とともに、感想をK先生に送った。

「道ありき」を読んで

 そもそも、読書そのものの習慣すらなかった私が、読書家の妻の影響で少しづつではあるが、本を読み、感想を伝えることが楽しいと感じ始めたときに出会ったのが、三浦綾子の著作「塩狩峠」である。明治時代に実際にあった鉄道事故をもとに書かれたという作品で、当時の鉄道がどのように書かれているのかに興味があって手にしたものの、読み終わると「こんな善人が本当にいたのか」という衝撃的な思いがまだ残っている。そこから、作家三浦綾子の作品に興味を持ちはじめ、「天北原野」「泥流地帯」「続 泥流地帯」「氷点」「銃口」と読みすすめた。いずれも共通しているのは宗教、それもキリスト教のエッセンスが文中に含まれていることだった。
 そのようなタイミングで北海道に行く機会に恵まれ、旭川市にある三浦綾子記念文学館を訪れた際、案内人の近藤弘子氏に勧められたのが、三浦綾子の自伝ともいえる、この「道ありき」だった。

 これまで読んだ三浦綾子作品には、非常に人間臭いというか、自らの欲望のままに生きるキャラクターと、その真逆で、キリスト教にふれたことにより、人生が変わったようなキャラクターが存在している。三浦綾子氏は、きっとキリスト教を布教するために本を書いていたのであろうなどと思っていた。ところが全くもってそうではなかった。終戦後、教壇で生徒に教えていたことが全否定されたことで、いくら自暴自棄になっていたとはいえ、二人の男性と同時進行で婚約をすすめていたところなど、いくらなんでもそれはないだろうと感じた。のちに、ほとんどベッドの上で過ごさなくてはならない重い病に侵されたシーンは、まさに「絶望」という言葉があてはまるのだろう。
 キリスト教を信仰していた幼馴染の前川正氏との出会いにより、徐々に希望が見えてきたところで、前川氏との永遠の別れが訪れる。そして結婚することになる三浦光世氏との出会い。いずれもキリスト教が絡んでくるものの、このような別れと出会いがあるのは、宗教は関係なく、もしかしたら著者自身の人間性というか、何か持って生まれたものがあるのではないかと思った。それを宗教家は「神の導き」「仏の導き」と称するのかもしれない。

 日本人は昔から「宗教観が薄い」などと聞いたことがある。七五三は神社で、クリスマスにはパーティを行い、仏壇に手を合わせる。よく言えば「宗教に寛容な国民性」と言えるのかもしれない。一方で、世界に目を向ければ、古来から宗教観の違いで戦争に至っている。この感覚を日本人として生まれた私も家族も周りの人も持ち合わせておらず、結果、「どうして戦争なんかするんだろう」「宗教って怖い」という感覚が少なからずある。そういう一面も否定はしないが、このような文学作品、三浦綾子作品の場合はキリスト教になるわけだが、本で宗教の考え方にふれるのは悪いことではないなと感じた。そもそも、キリスト教も仏教もイスラム教も、世界を滅ぼすような教えはないはずだ。長い年月を経てこれまで信仰の対象となっていたのは、自らの考え方に及ぼす、それなりのよい効果があったからではないかと考えた。

 この作品を読んで、もう一つ興味深かったことは短歌の存在である。作中でいくつもの短歌が書かれているのだが、思いを「五七五七七」にまとめ、それを相手に贈るというのが、とても粋に感じた。これは贈るほうも贈られるほうも、ある程度の教養や感受性がないと成立しないのではないかと思った。令和のいまも普通に歌われているのだろうか?いまでいえばツイッターなどが該当するのだろうか?

 昨今、人とのつながり方が非常に難しい、神経質にならざるを得ない社会になってきていると感じる。そんななか、テーマが読書でも宗教でも短歌でも何でもいいのだが、著者が自らやっていたように「感じたことを相手に伝える」、「相手の意見を受け入れる」、この簡単そうなことを皆が実践できるようになれば、少しは柔らかい社会になるのではないかと感じた。

 今どきの高校生でももう少しマシな感想文を書くと思う。
 その後、K先生も『道ありき』を読まれ、私の「感想文に対する感想」というタイトルで以下の文面をいただいた。

 「『道ありき』を読んで」という感想文ですが、これほど簡潔な感想の中にも、そこに込められた作品の意味合いや、その受けとり方に貴君と私との間には大分違いがある、ということがわかりました。まずそのあたりから説明していきます。

 第1ページ目の中段ですね。三浦綾子の作品には、〈非常に人間臭いというか、自らの欲望のままに生きるキャラクター〉と、その真逆で、〈キリスト教にふれたことにより、人生が変わったようなキャラクター〉が存在している、とあります。私は三浦綾子の他の作品をほとんど読んでいないので、何とも言えないのですが、「道ありき」という作品に限って言えば、なるほどそうした〈真逆のキャラクター〉が表現されているということについては異存ありません。さらに言えば、「道ありき」における〈真逆のキャラクター〉は、ひとり堀田(三浦)綾子という主人公の中に、もっと具体的に言うと、一人の女性の生涯の中に表現されたものである、というところまでは貴君にも同意してもらえるのではないでしょうか。

 問題は次のくだりです。「三浦綾子氏は、きっとキリスト教を布教するために本を書いていたのであろうなどと思っていた」とありますが、これは正しい見方ではないかと私は思うのです。戦時中から教員として熱心に勤めていた「私」が、日本の敗戦により世の中がすっかり変わり、絶望的な日々の中で教職を辞し、虚無的な、荒れた生活を送らざるを得なくなる。さらに「私」を絶望の淵に突き落とすような13年間にも及ぶ長期の闘病生活があった。そうした中で、もう一つの〈キャラクター〉を獲得していったのです。もちろん、そこには前川正というキリスト教の信奉者で、彼女の幼馴染みが介在しており、前川が亡くなると、その後を同じくキリシタンで、後に「私」と結婚することになる三浦光世がサポートすることになるのです。「私」はあの世界からこの世界へと歩みを進めるにあたって、キリスト教という信仰を教えられながら、また後には自ら進んでそれにすがりながら歩んできている、というところから、この小説を書いて世に出すことが「キリスト教を布教するために本を書いていた」と考えても間違いとはいえないのではないでしょうか。

 ところで、そのあとの「ところが全くもってそうではなかった」がよく分かりません。「そう」という指示語は「キリスト教を布教するために本を書いていた」を指すことになるのだと思いますが、それが否定されているので、この小説を書いた事情は何だったのか、と言うことになると思うのですが、どうでしょう。

 さらに、前川正との出会いと別れ、三浦光世との出会いと結婚、「いずれもキリスト教が絡んでくるものの、このような別れと出会いがあるのは、宗教は関係なく、もしかしたら著者自身の人間性というか、何か持って生まれたものがあるのではないかと思った」というくだりは、私の思いとはだいぶ違っていました。私は、作品中にあれだけ聖書のナントカ章が顔を出し、あちこちで賛美歌が歌われているような、そんな作品で「神の導き」がないはずはない、と《素直に》考えてしまいます。

 外国旅行に行くと(まあ、国内旅行も同じことだが)、宗教施設、例えば教会などの見学に連れて行かれます。ガイドからその宗教の歴史的な背景や、その建造物の美麗さや歴史的な価値についての説明を受けつつ、何百年も前、現代のように建築のための重機もない時代に、どうしてこのような建造物を建てることができたのだろうか、これを作るのにどれほどの人間が動員されたのだろうか、これが完成するまでに、どれほどの人命が失われたであろうか、などなどとついついそんなことばかりを考えてしまいます。宗教の力は計り知れないものだと思っていて間違いはないと思います。

 卒業後30年近くたっても、感想文にダメ出しされている生徒である。一方で、高校時代のあれやこれやを思い出してきて、つい笑ってしまった。
 「卒業後は北海道に行きたい」という私の希望に対し、反対する母に対して「好きなようにやらせてみては?」と話してくれたり、「青函トンネル開業初日の寝台特急北斗星に乗りたいから、予約するために遅刻します」という話を受け止めてくれたり、修学旅行の班行動でクラス全員の新幹線特急券を払い戻しておこずかいとして分配したことを見つかったりなどなど。(これはさすがにすごく怒られて、その日の夜の倉敷美観地区散策は全員謹慎となった)、
 そういえばK先生、同窓会でお会いした時に「パーキンソン病にかかってしまった」と言っていました。亡くなった原因がこの病気なのかどうかは聞いていないが、もし天国で「パーキンソン病患者だった会」などというものがあるのなら、綾子さんと会っているかもしれないな。

 K先生のご冥福をお祈りいたします。

神楽岡マイ(の知り合いのおじさん)

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