三浦綾子作品で使われているオノマトペ“むっくり”

難波真実

印象に残ったオノマトペ語句の16語目です。

今、次第に近づいてくる函館山の、むっくりとした姿を眺めながら、信夫は、そのころの自分を思い出していた。

三浦綾子『塩狩峠』[連絡船]

この語句は、今のところ(収録している18作品で)、『氷点』『足』『塩狩峠』『死の彼方までも』の4つの作品で使われています。

冒頭の「むっくり」だけ、人の動きではなく、山の姿の形容に使われています。
他の「むっくり」はというと、

啓造はむっくりと床の上に起きあがった。

三浦綾子『氷点』[つぶて]

小田島霧子が、むっくりとベッドの上に起きあがって猫の声をまねた。

三浦綾子『足』

吉川はむっくりと床の上に起きあがって、あぐらをかいた。

三浦綾子『塩狩峠』[トランプ]

朝刊を四つ折りにして、むっくりと俊之は起き上がった。

三浦綾子『死の彼方までも』[一]

ご覧のとおり、すべて、人が起き上がる様子です。
まあ、そうでしょうね。「むっくり」の多くは、こういう動作をあらわすでしょうね。
それだけに、冒頭のように、山の姿を形容したというのは割合珍しく、印象に残りました。

函館山をご覧になられた方は、いらっしゃるでしょうか。
北海道有数の観光地ですから、ご覧になられた方は多いかもしれません。
ただ、函館山はご承知のように山上からの夜景が綺麗で有名ですので、
意外と、函館山の山容そのものを記憶している方は少ないのかもしれませんね。

私は、大の函館好きで、なおかつ、妻の実家が道南ということもあり、
年に1、2回は函館を訪れますので、そのたびに函館山を目にします。
しかも、北斗(上磯)、木古内、知内、福島、松前の方面に行くので、
函館山の裏側といいますか、函館市内から見たのとは全く違った姿をいつも見ています。
その姿は、函館山の別称「臥牛山(ぎゅうがざん)」のとおり、牛が寝そべったような形をしているのです。興味を持たれた方は、ぜひ、国道228号線を走るか、道南いさりび鉄道に乗るか、北海道新幹線に乗るかして、ご覧ください。
その函館山が、おそらくは永野信夫の見た函館山の姿です。

信夫が北海道に移住したとき、もちろん青函トンネルはなく、連絡船で津軽海峡を渡ったわけですが、
青函連絡船もまだ就航していませんでした。
当時の記録を見てみると、日本郵船が、青森から室蘭までの連絡船を運行していたようです。
この船は、途中、函館に寄港したようですね。そのときの描写というわけです。

信夫が札幌に向かうときの車窓の描写が、「あれ?」と違和感をお持ちになられた方は鋭い。
道南から札幌に向かっているのに、馬鈴薯畑を見て、江別の煉瓦工場群を見ているのです。
「なぜ江別を通るんだ?」となりますよね。道北方面から札幌に向かうときの風景だからです。
しかしそれは、前述したように、船が室蘭に着くからなんですね。
室蘭からは、室蘭本線で岩見沢に向かって、そこから函館本線で札幌へ、というわけなんです。
その当時の交通事情をふまえて、三浦綾子さんは文章を書いたんですね。当たり前のことではありますが、さすがだなあと感じます。

三浦綾子さんは『氷点』連載執筆時に(応募原稿執筆時ではなく)、函館へ取材に行っていますが、その折に青函連絡船に乗っています。そのときに船の甲板で景色を見ていたと記してありますので、この「むっくり」は、そのときの記憶が基になったのでしょうか。

永野信夫を、わざわざ東京生まれにして、津軽海峡を渡らせるあたりは、ストーリーテラーだなあと思います。そして、信夫の大きなターニングポイントとなるこの移住を、文字通り「やま」にして、本当の山の姿を重ね合わせるなんて、なんだか洒落てるなあと思うのは私だけでしょうか?

今日も1日の気温差が激しく、氷点下10度以下から、日中はプラス1、2度ぐらいまで上がり、目まぐるしい寒暖でした。体調管理には気をつけたいですね。
では、また。

難波真実

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