印象に残ったオノマトペ語句の22語目です。
「……愚痴を言ったり、不平たらたら言ってるおとなどもは、あれはほんとのおとなとは言えないわ。……」
三浦綾子『積木の箱』[羽虫]
この語句は、今のところ(収録している18作品で)、『積木の箱』だけで使われています。
『積木の箱』は旭川を舞台にした現代小説で初期の作品です。朝日新聞の夕刊で連載されました。
新聞連載は『氷点』以来ですね。1967年4月連載開始ですから、『氷点』の連載が終わってから1年ちょっとぐらいです。
それにしても、耳の痛い文ですね。
なんと愚痴の多い、不平の多い日々であることか、深く反省します。
このセリフは、みどりという女性で、主要人物の1人です。
話している相手は、悠二。この物語の主人公です。
みどりは17歳の高校生。一郎という中学生の実姉。
悠二は一郎の通う中学校の教師。札幌から旭川に転任してきました(私立学校で別法人なので、厳密には転職という感じですが)。
話している場所は、悠二の職場であり、一郎の学校。しかも宿直室。悠二の宿直の日に、買ったケーキを持って、いきなりやってきたみどりと、それに驚く悠二との会話です。
という場面であることを考えると、
先程のセリフは、少しイメージが変わってくるでしょうか。
17歳の高校生が、弟の担任教師の宿直中に押しかけてしゃべっている、という図式からすると、“大人にみせかけている”、“背伸びをしている”女の子の、いっぱしの理屈というふうにも見えますね。
実際、悠二も同じように考えたのか、“おとなぶってみたい年ごろじゃないのかな”と言いますが、
みどりは、「そんなのんきなことをおしゃっていては、少年少女の先生なんか、つとまりませんよ」と笑顔でかわします。さらに、こうも言うのです。
「……おとなって、つまり個室を持っていることだと思うの。心の中に」
三浦綾子『積木の箱』[羽虫]
『氷点』の陽子も、成長して、母の夏枝に、自分には“秘密”があることを公言するようになりましたね。
大人になっていくさまを描いた素敵なシーンでした。
それに共通する言い回しですね。
ただ、陽子の場合は、きらっとした透明感ある宣言でしたが、
みどりの場合は、かげりがあると書かれています。
なぜみどりがかげりを持っているのか、それは物語を読んでいただければわかると思いますが、
同じ“個室”でも、かげりを持っていてもよさそうな陽子ではなく、みどりにそれを持たせているところが、それぞれの物語の違いですね。おもしろいものです。
「たらたら」というのは、垂れて流れるイメージがあるように思います。
この、垂れて流れているところが、なんていいましょうか、“大人”なんですよね。
みどりは、それは「ほんとのおとなとは言えない」と言っていますが、
私からすれば、不平や文句や愚痴をたらたら垂れ流しにするあたりが、悪い意味での大人という気がしますけれどね。みどりには、大人にはちゃんとしていてほしいという理想像があるのでしょうか。
そういう理想を持っているのであれば、今はあぶなっかしい17歳であったとしても、ゆくゆくは何かしらの軸をもって生きていってくれそうな、そんな期待も持てそうです。
私は、『積木の箱』の登場人物でいちばん好きなのは、このみどりです。
みどりが持っている個室は、相当に暗く、さびしいものなのではないかと思いますが、どうでしょうか。
私も、自分の心のうちをあらわすとするなら、
夜、月明かりだけが照らす広い川を、独り小舟に乗って櫂を動かしている、そんなイメージの中に入り込んで、ハッとすることが時々あります。
実際の暮らしとしては何の申し分もなく幸せで恵まれているのに、
心の深い底のほうには、そういう孤独な部分を抱えているのだろうなと、自分のことを察しています。
みどりは、冒頭のセリフのあと、こう続けています。
「……あれはほんとのおとなとは言えないわ。心の中がまる見えですもの」と。
つまり、愚痴を言ったり不平を言ってることそのものよりも、そんな姿は浅はかだとでも言いたいのでしょう。別に、言いたいことを我慢しろというわけでもないでしょうが、思ったことをたらたらと垂れ流すのは格好悪い、それは大人の姿ではないでしょうと言いたいのでしょうね。
おそらく、作者の三浦綾子さん自身の理屈というか、ポリシーというか、そういうものが反映されているような気がします。
ま、子どもだからといって、“個室”を持っていないわけでもないですが(私などは、幼い頃からがっちりと心の個室に閉じこもっていました)、「建前と本音」という枠組みとはまた別の、大人の人間としての、心のあり方、見せ方、ふるまい方のようなものがイメージされているのでしょうか。
「たらたら」、おもしろい語句ですね。
ふと気づいたのですが、「だらだら」は、どうなのだろう?と。
今後、取り上げる機会があろうかと思いますが、「たらたら」と似たイメージの言葉ですね。
でも、「だらだら」は、若者の象徴のような気もします。しっかりだらだらできるのって、若者とワンコ、ニャンコの特権かなあと思うので(なんちゅう言い草。すみません)。
「たらたら」が、今後の作業で、どの作品で、どんなふうに使われるのか、はたまた使われないのか、興味が出てきました。
今日の夕飯は、昨夜の麻婆豆腐の残りと、焼き鮭、キャベツの千切りでした。
ここ1ヶ月ほど、玄米を食べていますが、数日前に試してみたのが、玄米に、雑穀ともち麦をブレンドして炊いたもの。いやあ、めっちゃ美味しかった!
小分けで冷凍して、1食毎に1つずつ食べているのですが、これはグッド。おそらく、ずっと続けるなあという予感がします。納豆にもキムチにも、おかず何にでも合います。何より、ご飯単体で美味しい。
では、また。
難波真実
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