文学館主催で舞台地サイトをコツコツと作っていまして、最近この神居古潭駅跡を紹介したんですけど、#綾活 サイトでもご紹介しようと思います。(撮影は全て2023年6月)。
神居古潭と言えば、『果て遠き丘』ですっかりおなじみの観光地ですよね!その最寄り駅がこの神居古潭駅でした。過去形になっているのは、1969(昭和44)年に廃駅になったからです。札幌から旭川に特急で向かうと、深川駅を出てからすごく長いトンネルに入ります。この長いトンネル、神居トンネルができたのでこの神居古潭駅を通るルートは廃止になったのです。廃線になったら駅も壊しちゃうものですが、この建物が明治時代の貴重な西洋建築ということで復元され、現在では旭川市の指定文化財になっています。壁の色が鮮やかな黄緑色でしゃれた外見です。
この神居古潭駅跡の何がすごいかといえば、駅舎だけでなくプラットホームや駅名板もそのまま残っていることなんですね。線路を敷けば列車がやってきそうなぐらい、しっかり残っています。名所案内の看板にカムイスキーリンクスがあるんですけど、この駅で降りて向かう人は一人でもいたんでしょうか?謎。
列車がきたようです!展示物ですけどね!(;’∀’) 駅跡の深川寄りに3両の蒸気機関車が展示されています。前から「ハチロク」「シゴナナ」「デゴイチ」ですな。各形式の特徴を語り始めてもいいのですが、ここでは省略。
機関車展示の奥の方には、以前鉄道用として使われていたトンネルがあります。『泥流地帯』で、拓一と耕作が佐枝に会うために、上富良野から函館に向かうシーンがあったのをご記憶でしょうか?二人が乗った旭川発の列車は神居古潭駅の先のトンネルの入り口に雪崩が発生し、この神居古潭駅から先にすすめず一晩明かした末に、旭川駅に戻ることになったシーンがあります。その雪崩の発生現場がまさにこのあたり!拓一・耕作兄弟は唖然としていたんだろうなぁ。
北海道立図書館の「北方資料デジタルライブラリー」に『神居古潭風景』という、おそらく昔の絵葉書であろう風景がみられるようになっています。拓一・耕作の時代からはさらに古そうですが、当時の様子がうかがえます。
(おしまい)
神楽岡マイ
コメント
マイさん、素敵です!
機関車、C57でしたか。貴婦人?(山口号で憧れてました)
あのトンネル、散策するにはぴったりで、あちらに出ると、神居古潭の流れがまた違った景色で楽しめます。(それ以上先には行ったことがないんですけどね)
先日、北海道新聞で「コタン祭り」の復活を願う記事が出てました。せっかくの絶景、いろんな方々に楽しんでほしいですよね。
ちなみに、橋のそばの売店でジュースを買って飲むのが楽しみでもありました。
あ、もう一つ。駅跡に向かう階段(石段? 土段?)の途中に、九条武子さんの歌碑があります。
難波さま
コメントありがとうございます。
神居古潭にあるC57は書いていただいた通り、山口線の「やまぐち号」で使われている機関車と同型です。ちなみにやまぐち号で使用されている1号機に対し、神居古潭の201号機はC57のラストナンバーなんですって!(大いに盛り上がるところです)
橋のそばの売店も健在でしたし、九条武子さんの歌碑もありました。
ここは昔、NHKの連続テレビ小説「旅路」の舞台だという案内板も見ました。私ははじめて知りましたが、脚本が今年お亡くなりになった平岩弓枝さんと知って驚きました。
神楽岡マイ