三浦綾子作品で使われているオノマトペ“くっきり”

難波真実

印象に残ったオノマトペ語句の20語目です。

ストローブ松の林の影が、くっきりと地に濃く短かった。

三浦綾子『氷点』[敵]

この語句は、今のところ(収録している18作品で)、『氷点』『ひつじが丘』『塩狩峠』『道ありき』『積木の箱』『奈落の声』『この土の器をも』『死の彼方までも』『裁きの家』の9作品で使われています。計20回の使用例のうち、『氷点』が8回で、最も多いですね。

『氷点』の「くっきり」は、大きく分けて2つです。
1つは、冒頭の一文のように、風景を描いたもの。冒頭のストローブ松以外は、すべて山の形容。
もう1つは、夏枝です。夏枝のうなじ。辻口家を闇に落としたきっかけですね。

そこには紫のあざが二つ、くっきりとついているではないか。

三浦綾子『氷点』[雨のあと]

啓造は、ずっとこの「くっきり」に悩まされます。かわいそうに。
ま、訊けばいいんですけどね。「それ、何?」って。
それができるのであれば、ま、この物語は成立しないので、言ってもしょうがないですが。

うなじの「くっきり」と山々の「くっきり」。
これ、三浦綾子さんは狙って書いたのでしょうか。うーん、わかりません。
しかし、たくさんずらずらっと使っていることを考えると、何かしらの意識はあったのかもしれませんね。

他の作品でも、山などの形容に使われていますが、
もう1つのタイプは、影ですね。自伝小説『道ありき』では、

駅前を出たわたしの影が、地に濃くクッキリと短かったことを覚えている。

三浦綾子『道ありき』[九]

とありまして、これはもう、冒頭の「くっきり」を意識した表現ですね。
逆に言えば、このときの体験と印象を『氷点』に使ったということでしょう。
ということは、大事な大事な書き出しのところで使った「くっきり」は、相当に意識して使ったわけで、そうなると、他の「くっきり」も、その効果を意識して使った、ということになるかもしれませんね。
うなじの「くっきり」と、山の「くっきり」かあ。

「くっきり」というのは、明瞭というイメージですものね。「はっきり」とも似た語感です。
鮮やかに、くっきりと目に飛び込んでくる、痣(あざ)と、山の稜線。
そんなにも明瞭で、存在そのものを主張してくるような「くっきり」。
なのに、その先には手が届かない(手を伸ばせない)もどかしさ。
そういう意味では、痣も稜線も、共通点があるのかもしれませんね。

これはもしかしたら、言葉のサブリミナル効果?
読んでいって目にするたびに、「くっきり」が心の片隅に残り続け、焼き付いていく、そんな効果さえあるのではないかと思ってしまいました(言い過ぎなのは否めませんが)。

大きなニレの木の下に、その影がくっきりと濃い。

三浦綾子『奈落の声』(三)

これも影の「くっきり」ですが、これは人の影ではなく、ニレの木の影です。
そして時刻はお昼の1時半。季節は夏。
この「くっきり」は、季節と時刻と天候を一言で描く、まさに教科書的な使い方ですね。
短編小説は文字数に限りがあるので、短い語句で豊かに表現できるようにすることをかなり意識するかと思います。オノマトペは、そんな場合に有効活用したい語句ですね。
『奈落の声』の「くっきり」は、お手本のような使用例でした。

もう1つ、山を形容する「くっきり」が多いのは、
三浦綾子さんが旭川・上川に生まれ育ったことが大きいように思います。
私も初めて道北に足を踏み入れたとき、大雪山系から十勝岳連峰までの壮大な山脈に圧倒されました。息を呑むという表現がまさにぴったりで、しばらく眺め続けたことを覚えています。
この山々のそばで、この山々を眺めながら暮らしてきた綾子さんは、この稜線を書かずにはいられなかったことでしょう。なんだか分かったようなことを言いますが、「山は文学になるんだなあ」と私は思っています。
春先から初夏の、白い稜線。本当に美しいので、皆さん、ぜひご覧ください。

今日の夕飯は、職場の先輩からいただいた、乾麺の味噌煮込みうどんをベースに、特売の長ネギと玉ねぎ、豚の切り落とし、それからストックの玉ねぎを入れて鍋っぽくしました。寒い日だったので、体が温まり、おいしい夜になりました。
では、また。

難波真実

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