印象に残ったオノマトペ語句の24語目です。
輝子はきんらんのハンドバッグの口金をパチリとあけて、たばこをとりだした。
三浦綾子『ひつじが丘』
この語句は、今のところ(収録している18作品で)、『ひつじが丘』『塩狩峠』『積木の箱』『裁きの家』の4作品で使われています。
口金(くちがね)、この頃はあまり見かけませんねえ。
いや、私の視界に入っていないだけで、使われているのかもしれませんが。
昭和時代にはたくさん使われていたような記憶があります。
代表的なのは、がま口でしょうか。
私の母の世代は、たいていが口金のついたかばんをもっていたような。
そしてまた、取り出したのがタバコ、というところが昭和ですね。
いや、これもまた私の偏見かもしれません。失礼しました。
同じくハンドバッグの口金を「ぱちり」とさせた場面が、こちらです。
と、ベージュ色のハンドバッグの口金をパチリとあけて、滝江はのし袋をクメの前にさし出した。
三浦綾子『裁きの家』[十九]
滝江は雑貨のデザイナーで、ハンドバッグを作っていますから、おそらく自分のブランドのバッグでしょうね。滝江の場合、さすがにがま口タイプではなさそうな気がします。
ですが、「かち」とか「かちり」とか「かちゃり」という表現ではないですから、「パチリ」と音がするタイプのものなのでしょう。
しかしこれ、滝江が姑のクメにお金を渡すシーンなわけですが、すっと、のし袋を渡してもよさそうなところを、ハンドバッグを開ける、その音までも盛り込んでというところに、作者のこだわりを感じますよね。
“ちゃんと”、“その場のだれもが分かるように”、滝江はお金を渡したい、しかもその稼ぎは自分で得ている、そのプライドと、恩着せがましさと、承認欲求とを、この「ぱちり」であらわしているわけですね。仮に、クメの実の息子の博史の稼ぎから、夫婦二人の気持ちとしてお金を渡すことがあってもいいわけですが、そうはしません。なんといっても滝江ですから。“あなたの息子に食べさせてもらっているわけではありませんよ、この私は”という強烈な自己主張ですよね。
この「ぱちり」が催眠術のスイッチのように、クメはしおらしくなってしまうのです。
あれほど滝江の悪口を言っているのに、「ぱちり」に屈する。
人間って、そういうものなのだろうなあと、切なくもなります。
他の「ぱちり」も見てみましょうか。
先生は扇子をパチリと音をさせて開き、パタパタといそがしく風を送った。
三浦綾子『塩狩峠』[二学期]
「パチリ」と「パタパタ」。信夫の小学校の先生の所作です。
なんともまあ、せわしない。
「ぱ」の音が重なることで、このせわしなさがいっそう浮かび上がってきますね。
先生の早とちり、早合点、決めつけで、信夫は悔しい思いをします。
このやりとりで、信夫は「早く大人になりたい」と思うのですね。
世の中にはいろんな人がいる、自分の思うようにことは進まない、という社会の現実を目の当たりにする信夫。そこまで言うと少し大げさですが、でも、成長譚の1つの要素として大きな役目を果たすエピソードです。
その人物の動作に「ぱ」の音を選んだというのが、私には心地よいですね。
「ぱ」というのは、思い切りの良い、いい音ですが、
今回のようなケースでは、思慮深さに欠けている、丁寧ではない、そういう方向に作用しますね。
ところが、もう一つの「ぱちり」を見てみましょうか。
掛居は、青筋の浮いた手で、パチリと碁石を置く真似をしてみせた。
三浦綾子『積木の箱』[乱反射]
同じ「ぱちり」なのに、こうも違うものなのかと、思いませんか?
さきほどのせわしなさはどこへやら、一転して、熟慮するイメージが出てきます。遠謀深慮の人なのかもしれないという憶測が生まれそうなほどに。
これは、碁石とセットで生まれた効果ですね。おそらく将棋でもそうなるでしょう。
チェスだと、「ぱちり」という音がするのかどうか、「すっ」とか「コトッ」でしょうかね。
そして、お気づきになったかと思いますが、この「ぱちり」は、実際には音が鳴っていません。
碁石を置く真似をしただけなのです。
ですが、「ぱちり」という音を入れた。ここに文章のおもしろさが詰まっています。
これが映像だと、実際には鳴らないので、動作だけでそれをあらわすのか、効果音を入れるのか、選択の余地が出てきますね。
音声であれば、この文章を語りやナレーションで入れるのかどうかが分かれ目です。会話だけだと、音が鳴りません。
文章作品の良さは、こういうところにありますね。私が文章を好きなのも、こういう表現ができるからです。
今日の夕飯は、大根と人参と鶏肉を圧力鍋で煮込んだもの。そして、焼き魚でした(もらいものの切り身だったので、魚種が分からず。ホッケのような味がしましたが、食感が違ったような……)。
根菜、美味しいですよね。滋味たっぷりです。
では、また。
難波真実
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