『天北原野』をたずねて ~その3 「大鵬幸喜上陸の地」記念碑~

作品舞台の訪問記

今回ご紹介する「大鵬幸喜上陸の地」記念碑も、防波堤ドームのエリア内にあります。
前回ご紹介した稚泊航路記念碑より、ややドームの入り口側に位置しています。

大鵬幸喜は、昭和時代に活躍した、幕内優勝32回(うち6連覇2回)・最大45連勝という驚異の記録を持つ大横綱です!
北海道の弟子屈(てしかが)町出身とされていますが、1940(昭和15)に南樺太の敷香(しすか)で生まれ、終戦とともに日本へ引き揚げてきたという過去があります。

こちらは2020(令和2)大鵬の生誕80周年に、大鵬の稚内上陸を記念して建立されたという新しい記念碑です。
大鵬相撲記念館は出身地の弟子屈町にあるのに、記念碑がなぜ稚内に・・・?
その理由を見てみましょう。

終戦直後の1945(昭和20)8月20日。
家族とともに海底ケーブル敷設船「小笠原丸」に乗って樺太から引き揚げた当時5歳の大鵬は、当初は小樽を目指しており稚内で降りる予定はありませんでしたが、お母さんがひどい船酔いになってしまったためにやむなく稚内で下船し、この稚内港に降り立つこととなります。

やっとの思いで樺太から引き揚げてきたのに、目的地まで行けずにがっかりしたことでしょう・・・。しかし、このために彼が九死に一生を得たということが、後になって判明します。

稚内で大鵬一家を降ろした小笠原丸は、秋田県の船川に向かうべく、まずは経由地の小樽を目指していました。
しかし……8月22日午前4時20分。小笠原丸は小樽の目前である増毛沖で旧ソ連のものとみられる(※いまだに公式発表なし)潜水艦の魚雷を受け、沈没してしまいます。

被害にあったのは、小笠原丸だけではありませんでした。
同じく大泊から引き揚げ者を乗せて出航した「第二新興丸」は稚内を目指しましたが、稚内では避難者の収容が限界を迎えていたため小樽へ針路を変更。
しかし、その途中に留萌沖で攻撃を受けてしまいます。その後、船はなんとか留萌港にたどり着きましたが、多くの方が犠牲になってしまいました…。
さらに「泰東丸」が小平沖で、前二船と同様に攻撃を受けて沈没してしまいます。
のちに「三船殉難事件」と呼ばれる、死者・行方不明者1,700人以上の大変痛ましい事件です。

作中でも、
(※この先『天北原野』ストーリーの結末に関わる記述がありますので未読の方はご注意ください。 飛ばしたい方はこちらをクリック!)


お貴乃の娘・弥江と千代、孝介の母・サダと息子・澄男が第二新興丸に乗船し、命を落としてしまいます。お貴乃も乗船する予定でしたが、お貴乃になついていた義理の甥・京二が急な腹痛に見舞われ、介抱のため次の便に乗って稚内に上陸。2人は結果として難を逃れるかたちとなりました。
共に第二新興丸に乗船していながらもなんとか生還した、孝介宅のお手伝いの幾子から事故の様子を聞き、お貴乃は大切な人たちに降りかかった残酷な現実を知ることになります…。

物語序盤からさまざまな災難に見舞われ、それでも誰に文句を言うでもなく、ひたすらじっと耐え忍んできたお貴乃。敗戦を迎え命こそ助かりはしたものの、最愛の子どもたちや、心から愛していた人の家族と死に別れてしまいます…。

「正しく生きる者に、なぜいわれのない災厄がふりかかるのか」というテーマは『天北原野』に始まり、のちの『泥流地帯』へとつながっていくことになります。

(※ストーリーの結末に関わる記述は以上です)

期せずして生き延びることができた大鵬は、後年、著書の中で稚内について
「辛うじて助かって内地への第一歩を記した私の記念すべき原点」と述べています。
また、稚内の関係者には「ここで降りたから今がある」と何度も話していたといいます。

大鵬のように、そのときは「運が悪いなあ…」とか「どうしてこんなことに…」というマイナスなことが起こってしまっても、後になって結果的にそれがプラスにはたらいた、ということがわたしたちにもありますよね。
綾子さんも、13年にも及ぶ闘病生活で大変苦しみましたが、その中でキリスト教や夫の光世さんと出会い、回復し結婚したのちに「どんなに絶望的な状況に見えたとしても、生きることを決して諦めないでほしい」と力強く語っておられました。
わたしも綾子さんのこの言葉に光をもらって、何かマイナスなことが起こったときに悲しんで塞ぎ込んでしまうのではなく、「もしかしたらこれは今後のために必要なことだったのかもしれないな」と考え、くよくよ悩みすぎずに前を向けるようになりました♪

同時に、たくさんの尊い命を理不尽に、そして無慈悲に奪い去っていく戦争を、絶対に許すことはできません。
戦争はさらに、決着がついたので「ハイおしまい、じゃ明日から仲良くしましょうね」とは到底割り切れないほどの強い憎しみと深い傷を無差別に残していきます。
作中でも、お貴乃の父・兼作が樺太について「もともとソ連の領土だったのを日本が戦争で奪ったからいつか取り返されるだろう」と語り、その通りになってしまいます。
ましてや三船殉難事件は、8月15日に戦争が終結した直後の出来事なのです。

世界にはいまも戦禍が絶えません。そのために悩み苦しみ、命の危機にさらされている人々に、どうか1日でも早く平穏な日常がおとずれることを願うばかりです…。

なお、三船殉難事件については、それぞれの船が襲撃された増毛・留萌・小平に記念碑があります。
また、今年度の三浦綾子記念文学館の企画展「綾子と海」にて『天北原野』ほか海にまつわる三浦作品について紹介されていますが、関連する事件として「三船殉難事件」に関する新聞記事もご覧になれます。
見ごたえたっぷりの企画展です♪ 詳細についてはこちらをどうぞ!(三浦綾子記念文学館 企画展案内ページ)

さて、3回にわたって防波堤ドームエリアの綾活スポットを紹介してまいりました!
次回は、『天北原野』&樺太を語るのに欠かせない、あの有名なスポットをご紹介します*
今回もお読みいただき、ありがとうございました♪

ゑむゑむ@バーズ

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