『天北原野』をたずねて ~その7 南極観測樺太犬訓練記念碑・樺太犬供養塔~

作品舞台の訪問記

今回も稚内公園エリアにある綾活スポットをご紹介いたします。
戦争関連のスポットが続いていましたが、今回ご紹介するのは、犬ぞりにまつわる記念碑です!

『天北原野』では、貴乃の夫・完治が樺太の山中にある造材所に滞在中、実母・フクが脳溢血で倒れたという知らせを聞き、猛吹雪の中、犬ぞりに乗って豊原の自宅に急ぎ向かう描写があります。
このとき、完治の頼もしいパートナーとして登場するのが、リーダーのマルをはじめとする樺太犬5頭の犬ぞり隊です!

高緯度の寒冷地では、物資や人の運搬に使える動物が限られています。
使役動物としてよく知られているのは馬ですが、犬と比較すると、たくさんの荷物を運べる反面、犬より寒さに弱いことや、寒冷地では馬のエサに適した食物が確保しにくいこと、体の大きさや重さのために通れる道が限られるという弱点もあります。

一方、犬は雑食なのでエサにできる食物が多いこと、小柄で軽く体が雪に埋もれないので道をあまり選ばずに走れること、また、そりを牽くだけでなく番犬や猟犬としても役に立つことから、樺太においても先住民の時代から広く採用されていたそうです。

作中でも、完治が馬か犬のどちらで向かおうか迷いますが、上記の利点も考慮して、犬で向かうことに決めました。
犬は危険な箇所を本能で回避しながら走れる点においても頼もしかったのですが、樺太の吹雪は予想以上にひどく、前後不覚に陥って立ち往生してしまいます。

しぶとい完治もさすがにあきらめかけますが、ふと、樺太犬は単体でも吹雪の中を生き延びることができることを思い出します。
現に、犬は平熱が人間より高く37.5~39度もあり、毛皮もあるのでとってもあったかいです*
(冬のおふとんでは重宝します。ただし、おふとんを占領されるのが玉にキズ…笑)
完治は5匹の犬たちと寄り添って暖をとることで、生還への望みを捨てることなく、吹きすさぶ雪の合間に山小屋を発見して、なんとか生還することができました。

さらに作中では、犬たちが主である完治の気持ちを察するような行動をとったり、完治の呼びかけに呼応するように鳴いたりするという、健気なふるまいもみられます。
わたしは以前に犬を飼っていたバリバリの犬派なので、このように言葉を介さずとも気持ちが通じる人間と犬との絆を感じるとほっこりしますし、つい目頭が熱くなります…。
犬かわいい…(*´ω`*)

そり犬に適している犬種はさまざまありますが、おなじみはシベリアン・ハスキーでしょうか。
ほか、アラスカン・マラミュートやカナディアン・エスキモー・ドッグ、サモエドなど、厳しい冬を生き抜くことができる、もっふもふの毛並みを持ったわんこが揃っています。

作中に出てくる樺太犬は、そり犬に用いるため樺太や千島列島で生み出された犬種です。
樺太犬は昭和40年代頃まで国内でも使役されていましたが、次第に車や機械に活躍の場をゆずります。 そして野犬化して他の犬種と混ざってしまったり、駆除されてしまったりして、現在は純血の樺太犬は存在していないといわれています。

日本で一番有名な樺太犬といえば、南極観測隊のタロとジロですね!
1956(昭和31)に南極地域観測隊が組まれた際、観測に犬ぞりを使用することが決定します。
(推奨BGM:’’Theme of Antarctica’’)

「馬か犬か」については先述したとおりですが、南極においては、1911(明治44)に、イギリスのスコット隊とノルウェーのアムンゼン隊が南極点を目指して同時に出発したときに実証されています。
先に南極点に到達したのは犬ぞりで臨んだアムンゼンでした。彼は無事に帰還も果たしています。
一方のスコットは、アムンゼンに遅れて南極点に到達するも、使役していた馬が衰弱してしまったこともあり、帰途で遭難し、亡くなってしまいます。
このことから、南極という厳しい環境で生き残るためには、「馬よりも犬がよいようだ」と判断されたようです。

そり犬になるには訓練が必要なため、日本全国からそり犬の適性がある樺太犬を50頭ほど集め、ここ稚内公園の頂上にあった訓練所にて8ヶ月もの間、訓練を行いました。
こちらは、南極観測樺太犬訓練記念碑です!

犬の鼻先に見えるのは開基百年記念塔

まったくの余談ですが、このときの訓練所の総指揮の一人に犬飼・・哲夫さんという方がおられました。
動物学者で、北海道大学で教授をされていた方だそうです。なんという偶然でしょう。
「へぇ~」と思った方はお手元のボタンを押してください。笑

こうして厳しい訓練を乗り越えたタロ・ジロを含む22頭の樺太犬を連れて、同年、観測隊は南極観測船「宗谷」で南極へ出発します。
そして南極の昭和基地では、厳しい環境で数頭が死んだり病気で帰国したりしてしまいましたが、犬たちは立派にそり犬としての役目を果たしていました。

翌年1957(昭和32)の12月に、第1次越冬隊と入れ替わりの第2次越冬隊が宗谷に乗ってきますが、悪天候のため昭和基地にたどりつけませんでした。
その3ヶ月後の1958(昭和33)2月にアメリカ海軍「バートン・アイランド号」の支援を受けて、なんとか第1次越冬隊は宗谷へ収容されましたが、悪天候で空輸もままならないため「犬たちを基地に置いていく」という苦渋の決断を下します。
次回の越冬にも樺太犬は不可欠だったため、タロ・ジロを含む15頭の犬を、野生化や共食いをしないよう鎖につないで2ヶ月分のエサを置き、再会の約束をして隊員たちは基地を後にしました。

しかしその後、第2次越冬と観測の中止命令が下り、犬たちの救出は断念されます…。
犬たちを見殺しにするも同然のこの判断を受け、観測隊には国民からの非難が集まったため、大阪に供養塔を建て、観測隊も参列して盛大に供養をしたそうです。

そして約1年後の1959(昭和34)1月14日。
第3次越冬隊がヘリコプターで昭和基地の様子をうかがったところ、なんと2頭の犬が生きていることがわかります! それがタロとジロでした。
なお、他の犬たちは、7頭が鎖につながったまま死んでおり、6頭は脱走し行方不明でした…。

タロとジロの奇跡の生還は日本中に大きな感動をもたらし、映画『南極物語』のほか、2頭をたたえる歌や像も次々と作られました。
そして2頭の生還から9年後、基地のそばの雪の中からリキという犬の死骸が見つかりました。
関係者は、2頭の生還には、生前から親代わりに2頭の面倒をよくみていたリキの存在が大きかったのではないかと考えています。

タロとジロとリキ。南極という厳しい大地で、己の役目を立派に果たした22頭の樺太犬たち。
彼らの南極観測での功績をたたえ、供養する記念碑がこちらです!

雪原の道しるべとなる、ケルンという塔がモチーフです

そして、ここ稚内は犬ぞりゆかりの地として、毎年2月に全国犬ぞり大会がひらかれています!

昨シーズンのポスター。激アツすぎんか…!!

ここ数年は新型コロナや積雪の少なさが影響して中止が相次いでいましたが、昨シーズン(今年2月)は無事に開催されたようです!
犬ぞり以外にもプログラムが目白押しです。集え! 愛犬家!!(過去の様子はこちらをどうぞ)

また、タロ・ジロのふるさとであることと、南極観測船に、稚内がある「宗谷地方」の名を冠していることから、毎年8月には稚内みなと南極まつりが開催されており、この事業の一環として南極樺太犬慰霊祭も開催されています。
慰霊祭では地元の小学生も参加し、タロ・ジロに寄せられた詩と作文の朗読や、参加者で歌「タロ・ジロのカラフト犬」を合唱して、樺太犬の功績をたたえています。

遠い祖先の時代から、わたしたち人間に寄り添ってくれる犬の愛…言葉を介さないからこそ、芽生える絆はとても尊いものです。
犬好きの人にはぜひお越しいただきたいスポットです!!

ゑむゑむ@バーズ

コメント

  1. mai.kaguraoka より:

    素晴らしいレポートありがとうございました。
    もうね、ずっと頭の中が「Theme of Antarctica」!
    私も稚内公園を訪れた時、しっかり撮影してきました。
    リキが見つかっていたのは、この記事で初めて知りました。
    「リキ」ね。
    日本三大「リキ」と言えば、この南極のリキと、力石徹(あしたのジョー)と、リキ(西部警察)だと思っています(感じ方には個人差があります)。

  2. em.em_birds より:

    わたしもずっと「Theme of Antarctica」を聴きながら記事を書いていて、なんだか気分は南極隊員でした( ° ω ° )笑
    タロ・ジロ関連の本を読むと、もっと他の犬にもフィーチャーされているので、愛着がわくかと思います(・ω・)

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