『天北原野』をたずねて ~その9 インディギルカ号遭難者慰霊碑~

作品舞台の訪問記

『天北原野』訪問記はしばらく更新があいてしまいましたが、今回は1939(昭和14)に猿払沖で起こったインディギルカ号遭難事件についてご紹介します!
作中では、完治が猿払に赴いた際、4年前にここでこんな事件があったな…と回想するかたちで触れられています。(※ただし、作中ではハッキリと「インディギルカ号」という名前は出ていません)

「インディギルカ号」とは、旧ソ連の船です。(正式名称:ウロウシュン・インディギルカ号)

インディギルカ号の模型@さるふつまるごと館

1939(昭和14)12月12日の未明、漁を終えたロシア人やその家族など約1,100名を乗せたインディギルカ号は、シベリアのマガダンからウラジオストクを目指す途中で、宗谷海峡(樺太と日本の間)を東から西へ通り抜けるために、北海道のそばを通りかかりました。

とてつもない長旅だという雰囲気を感じ取っていただければ幸いです

しかし当時は猛吹雪のため、視界不良でした。
サハリン最南端のクリリオン岬から15km沖合に二丈岩灯台があり、インディギルカ号は二丈岩の灯りを右手に見ながら宗谷海峡を通過する予定でした。
しかし二丈岩は、ロシア語でカーメニ・オパースノスチ(=危険な岩)という名前を持つほどの海の難所でした。
当時、猛吹雪で二丈岩灯台の灯りは見えず、しかも船体は暴風でかなり流されてしまっていました。

本当に海は何が起こるかわかりませんね…

そんな中、宗谷岬の灯りを二丈岩の灯りと勘違いして針路を見誤ったインディギルカ号は、猿払村浜鬼志別沖に浮かぶ海馬島とどしま(トド岩)に激突し、座礁。
船の心臓部である機関室の真下が割けて浸水し、インディギルカ号は右舷を下にして転覆してしまいます…。

なんとか船の外に脱出できた乗客もいれば、なすすべなく船と共に運命をした方々もいらっしゃいました…。
しかし、たとえ外に出られても、そこは厳寒のオホーツク海。
荒れ狂う海にばらばらと飲み込まれていった乗客たちは、溺れたり凍えたりして、次々と命を落としてしまいます…。

そんな中でも、数名の男性が救命艇でなんとか陸に着くことができました。
彼らは、冷たい海水でずぶ濡れになって凍える体をなんとかひきずって民家を見つけ、必死で助けを求めます。

ロシア人たちが逃げ込んだ家には、漁師の神源一郎さん一家が住んでいました。
真夜中の突然の訪問客。しかも体が大きく、言葉の通じないロシア人男性数名…
とても驚いたでしょうし、怖かったのではないでしょうか。警戒するのも無理はありません。

また、当時の世相をみると、日本ではちょうど反ソ感情が高まり、ピリついていた頃でした。
同年5月から9月にかけて起こったノモンハン事件で日本とソ連が衝突し、日本は大敗北を喫したばかりだったのです。
※ノモンハン事件:旧満州国(現・中国北東部)とモンゴルの国境部にあるノモンハンで起きた武力衝突

ノモンハン事件のダメージが辺境の漁村にも届き、苦しい生活を強いられていた中で、突然の敵国民の訪問。
ですが、軍人ではなさそうだし、敵意もなさそうだし、ずぶ濡れで凍えていて困っている様子…。
言葉が通じないながらも、身ぶり手ぶりでインディギルカ号の転覆と、まだ船に取り残されている人たちがいるようだと知った猿払村の人たちは、このあとどのような行動をとったのでしょうか?

ロシア人たちの窮地を知った猿払村民は、真夜中で、しかも悪天候にも関わらず、村民総出で生存者の救助作業と遺体の引き上げ作業にあたることにしました。
また、猿払からの要請を受けて、稚内からも暴風雪の中、樺太丸・宗水丸・山陽丸という船が駆けつけて救助作業にあたりました。

助けが来たことを船の上の生存者に知らせるために浜辺でいくつも焚き火をおこし、保護できた生存者にはあたたかい衣類や、冬用に備蓄していた村の食糧などがふるまわれ、さらに凍傷の治療にもあたったということです。
そして、生存者は小樽経由で丁重に祖国に送り届けたとのこと。

この遭難事故では、最終的に約700名の方が亡くなってしまいましたが、子どもを含む約400名の方を救助することができたそうです!(※正確な人数は不明)
きっと、助けを求められたときに猿払村民がもし「おまえたちは敵国民だ。こちらに助ける義務などない。」と見殺しにしていたら、生存者の数はもっとずっと少なかったでしょう…。

当時はお互いの国同士が争っていた仲でしたが、それでも見捨てず助けた猿払村の人たち。
漁村に暮らし、冬の海の厳しさを一番身にしみてわかっていたため、海で困っている人をほうっておけなかったのかもしれません。


こちらの事件は、三浦綾子が『氷点』をはじめ、たびたび作品にも登場させている聖書のことば「汝の敵を愛せよ」をまさに体現したエピソードではないでしょうか。
国や人種、立場などの垣根を超えて、ただひたすら「困っている人がいれば助け合う」ということを個人レベルで実践していけば、世界から争いはなくなるはずだという考えです。

「相手の国が嫌いだから、その国の人が困っていても見捨てる」ということは、ごく自然な人間の心理であり、実行するのは非常にたやすいことです。
この時代は武力衝突もしていたので、憎悪は特に大きかったことでしょう。

ここでたとえば、自分事として考えてみたらどうでしょうか?
頭では理屈がわかるので、第三者の視点で「立場を超えて助け合ったほうが絶対にいいよね!」と言うのは簡単ですが、たとえばもし道端で言葉の通じない外国人が困っていたら、声をかけることができるのでしょうか。

対象は外国人や知らない人だけではありません。
もし、あまり好きではない知り合いが困っているのを見たら……助けるどころか「プッ、困ってる困ってる。ざまあみろ」と思って、あえて見過ごしてしまうのではないでしょうか(わたしはそうしてしまいます。罪深きことブラックホールのごとし…

ましてや、インディギルカ号のときは戦時中でした。
時代背景や私怨を抜きにして困っている相手を助ける」ということがいかに困難なことなのかをうかがい知ることができます。

たとえ国同士が争っている中でも、正しい心を持った人たちの素晴らしい行いがあった
終始どんよりとした展開が続き、個人レベルでも国家レベルでも争っているという人間の罪深がうずまくこの作品の中で、人類愛にあふれたこの事件に断片的にでも触れた三浦綾子の意図がわかるような気がします。


また猿払村は、事故から30年以上経った1971(昭和46)に、この事故で亡くなった方々の慰霊碑を、オホーツク海を臨む沿岸に建立しました。

球体が据えられており、それを囲むように、まるで手をつなぐようにつながった3本の柱が建てられています。
こちらの球体は地球を、3本の柱はさまざまな国や民族をあらわしており、それらがあらゆる方向から地球を持ち上げているというイメージだそうです。
慰霊碑にこめられた想いについて、当時の猿払村助役はこのように語っています。

「こうやって、われわれとしても、世界のすべての人々が地球を守るために、自分たちの力をあわせて、事故にあった場合には、ちょうどわれわれの父や祖父たちが、インディギルカ号が遭難した時、救助に向かったように、お互いに助け合わねばならないことを強調したかったのです。(後略)」

前田 保仁「冬の海に消えた七〇〇人 <インディギルカ号遭難の悲劇>」,北海道新聞社,1986年10月,p130

なお、こちらの慰霊碑は、猿払村のカントリーサインに採用されています!

猿払は今やホタテで全国的に有名ですが、意外なことに、カントリーサインには採用されていません。
そのかわりに採用されているのが、インディギルカ号遭難事件の慰霊碑です。
この事件の犠牲者に対する哀悼の気持ちや、国境や立場を超えた助け合いがあったことをずっと忘れまいとする猿払村の強い意志がうかがえます。
(なお、左側の地図は、かつて猿払と樺太の女麗めれいをつないでいた海底ケーブルをあらわしています。こちらにも壮絶なエピソードがあります。詳細はこちらの記事をご覧ください!)


なお、天候によってはこの慰霊碑からサハリンを臨むことができるそうです!
また、道路を挟んで向かい側には道の駅などおみやげ屋さんもいくつかあり、おいしいホタテグルメを楽しめます♪
ホタテの冷凍貝柱(玉冷)をその場で全国各地に発送できるので便利ですよ!!

猿払にお立ち寄りの際は、この慰霊碑にて事件の犠牲者を悼み、また、言うは易くても実行は非常に困難な「汝の敵を愛した」かつての猿払村民の勇気ある行いに思いを馳せてみてください。

ゑむゑむ@バーズ

コメント

  1. mai.kaguraoka より:

    ゑむゑむさま

     今回のシーン、「そんなシーンあったっけ?」と本気で探し、新潮文庫版の下巻で見つけました。4行でおわるこのシーンをここまで調べて記事にされるとは、本当に頭の下がる思いです。
     猿払村といえばホタテですよね。お会いした時にバスの車窓から眺めた印象をお話したのですが、カントリーサインにホタテがなく、慰霊碑と海底ケーブルがデザインされていたのにも衝撃を受けました。さすがカントリーサイン愛好家ですね!(笑)
     なんと申しましょうか、関東あたりに住んでいるとあまり感じないことなのですが、根室や稚内に行くと「国境」を感じます。戦争が始まる理由のひとつに「国境」がありますよね。しかし、国境あたりに住んでいる人にしてみたら、見えもしない余計な線と思う人もいるのではないでしょうか?向こうの人のお話も聞いてみたいし、向こうでもそう思っている人がいるかもしれない。2015年までは稚内からコルサコフまで民間航路があったそうで、もしいまもその航路があれば、樺太に行って『天北原野』をひろめてみたかったです。ロシアでも綾子さんが好きな人はいるでしょう(おそらく)。「平和ボケ」といわれるかもですが、そんなことを思いました。
     「『天北原野』をたずねて」の次回作を非常に楽しみにしています!

    • em.em_birds より:

      マイさん、コメントありがとうございます(*^ ^*)

      「原作に4行しか出てこないのによくまとめたね」と言ってくださいますが、わたしの感覚ではむしろ逆です。
      「地元民だからわかるネタをたった4行でも作品にぶちこむ綾子パネェ」なのです( ° ω ° )
      しかもそれらが、記事にする上で深掘りしてみると、作品のテーマに近いものだったり、史実に限りなく沿ったものだったり、なんらかのメッセージ性が強いものが多いことがわかったので、調べるたびに舌を巻いてますし、逆に言うと綾活のやりがいがあるなとも思っています( ・`ω・´)

      インディギルカ号しかり、『悪魔の飽食』しかり、わたしが興味を持ったものがことごとく綾子さんにつながっていることに気づいた瞬間、ファンネルに先回りされて撃ち抜かれた感覚です( ° ω ° )笑
      三浦綾子はニュータイプ…!

  2. sui より:

    ゑむゑむさん

    私も、「あれっ聞いたことない船…?」と思って思わず本を開いて探しました。
    こんなさらっと書かれた(しかも完治すぐ忘れる)事件を見逃さないゑむゑむさん、流石です!
    天北原野の物語から派生して、時代の背景にある出来事の詳細や綾子さんの意図の考察知ることができて嬉しいです。ありがとうございます!

    事件についてですが…記事を読みそこまでの大きな事件だったとは思わなかったので驚きました。
    その時代、ロシアの遭難者を救助することには抵抗あったでしょうし、気象条件、遭難人数、応援も必要な状況を思うと猿払の人々が本当に一致団結して救助したのが奇跡のようです。あまり考えられないことです。
    ゑむゑむさんの言う通り厳しい自然の中での暮らしを経験してる猿払の人々だからこそ、考えるより先に「苦しいだろう、つらいだろう」と強烈な共感を抱いて行動に出たのでしょうか…想像ですけれどね…すごいことです。
    だから猿払の人々の行動には考えさせられるものがありますし、後世に残すに値するのでしょうか、ホタテも捨てがたいですけれど…!
    (猿払も天北原野を読んで、自然が深くて良いところだな~と思い行ってみたい場所候補です!)

    私は、「国」は苦手だけど「人間」を眼の前にすると、「あれ?思っていた印象と違うな?」と思うことが時々あります。国の意思よりその人の意思と関わってみると凄く偏見を抱いていたと感じることが多いので、なるべく目の前の人を見るようにしたいな~とは思ってます、が、それは私が他国から攻撃を受けたことが無いから思えるだけかな~とも思います、、、つまり平和ボケです。
    猿払の人々と同じ行動がとれるか全く自信ありません。。。

    「汝の敵を愛せよ」、本当にその言葉が合いますね。
    自分が限界の状況でも相手に手を差し出せるか…滅多に出来ることではありませんが、好きな言葉なので忘れすずっと目標にしたいです。
    ふつ~のことですが、せめて自分に余裕があるときは、困ってる人の手助けにはなりたいなぁと日々思います。

    最後自分語りで申し訳ないです汗

    改めて、とても分かりやすく興味深い記事でした!!ありがとうございました。
    もはや道北アンバサダーになれそうですね…!!

    • em.em_birds より:

      すいさん、コメントありがとうございます(*´ ω `*)

      そう! 異国の人って、身近にいなくて知らない分、ニュースなどで知る国のイメージで偏見を持ってしまうんですよね。でも個人を見ると、どこの国にもスーパーフレンドリーな人はいるし、その一方でシャイな人もいます。
      『銃口』の竜太と金俊明のように、いろいろなしがらみを超えて交流できればと思うのですが…戦争で国同士が争っていると本当に難しいと思います(´ω`)
      (それでも、どちらかが許さない限り負の連鎖は続くから何がなんでも許そう、そして許し合おうという思想を、お貴乃がむごい目に遭うけどやり返さなかった『天北原野』に込めたのかな…とも思ったり…あくまでわたしの推測でしかないのですが…)

      すいさんのおっしゃるとおり、まずは身近なところから実践できればよいのではないでしょうか(・ω・)! 自分はそれすら難しいのでね…(´ω`)

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